少年の面差し。 凶暴な脆さ。 残忍な危うさ。 そして底に光る、荒削りで粗野なつよさ。 俺のかつて愛したもの。 俺のかつて愛した京くん。 <vintage> 7年物の赤ワイン。 コークスクリューがくるくると回る。 「また髪黒うしたんやな」 俺が言うと、京くんは長いすに寝そべりながら自分の髪を弄うた。 「あぁ、薫くんは前のほうが好きやったか?」 「いや、どっちも好きやで」 まわしたコルクをそうっと抜き取る。 たらふく時間を飲み込んで、たっぷりと肥えた香りが広がる。 「ええ香りやな」 「そう言うてもらえたら、奮発したかいがあるわ」 上体を背もたれに任せて、京くんは弛緩した笑みを向けてくる。 透明にして光を拒み、純粋にして妖艶で、無造作にして緻密。あやういバランスは研ぎ澄まされて、その頂点に京くんを据える。 「7年ものやで」 「へぇ」 目を細める京くんを見て、だらしなく心の芯が融ける。 ひとつ、嘘をついた。俺は、黒髪に映える京くんの白い肌が、ことさら好きやった。 ボトルの底をつかんで、音を立てずにグラスに注ぐ。 ほとんど空気に触れないそれは、落日をひとしずく垂らした血の色にも見えた。 「長いな、7年か」 ぽつり、と京くんがこぼす。 意外に思うて手を止めて、京くんを見る。思案げな横顔は、うつろで深遠だ。 「7年あれば、人間は別モンになるらしいな」 俺が言うと、京くんは興味深そうに俺のほうを見た。投げ出した足を組みかえるのは、深くもぐりかけた思考が戻ってきた合図やった。 彼の研ぎ澄まされた思考が、まっすぐに俺の言葉に向かっているというだけで、妙な畏怖と興奮が生まれる。 「つまり?」 「人間の体を構成するすべての元素が入れ替わるまでの時間。それが、7年」 京くんの枕元にあるスツールに腰掛けて、グラスを差し出す。 受け取ったまま、京くんはそれを光にかざして見た。 「なら、これがビンにつめられた頃の俺の体はもう、これっぽっちも残っとらへんのやな」 「せやな。俺も、京くんも」 俺は小さく笑うと、グラスのふちに唇をつけた。 繊細で深い渋みと、心を揺さぶるかすかな甘み。 期待にわく思いと、高揚に目を閉じる理性。 澄んだ、欲望。 「うまいな」 京くんの唇が、やわらかく笑みを刻む。 「渋うなかったか?」 「ひとを子供扱いするのもええ加減にせぇや」 いたく気分を害した、とでも言いたげに、京くんが片眉を上げて睨みつけてくる。 すかし見えるいたずらめいた表情に、俺はつい笑うた。 「せやな、もう、子供でもないな」 お互いに、とつぶやいて、京くんへと手を伸ばす。手の甲でそっとなでた京くんの頬は、なめらかで温かかった。 かつての京くんなら、こんな触れ方は決して許さへんかった。ぎしりと張った拒絶の鉄線はいつも、内へ触れる行為の一切を禁じとった。 それはさながら傷ついた美しい獣じみて、触れたいという俺の願いを、じりじりと焦がし、加速させた。 そして、その獣は今、俺の手の感触を楽しむようにわずかに頬を寄せて、安心しきったさまでグラスを眺めとる。 ――ふと、思う。 変わったのはただ、俺への態度か。あるいは、京くん自身か。 後者だな、と、すぐに思うた。 本をただせばただ舌に甘い果実。 けれど時はそれを毒に変え、舌を溶かし理性をほどく。 「なぁ、薫くん。あれはまだ続いとるんか?」 「……あれ?」 「俺を愛しとう言うたんは」 俺の手の甲に頬を乗せたまま、京くんが言うた。 驚くほどざっくばらんな言葉に、俺はつい一瞬息を止め――すぐに、小さくふきだした。 「いまさら、何言うとんねん」 ひとときたりともたゆまず、この身が思いに耐え切れず内から崩壊してゆくのではないかと思うほどに。 言葉にならずとも、俺はずっと、そう示してきた。なにをいまさら、言葉にする必要があろうか。 「あの頃の俺は、もうおらへんねん」 ワインの色を見つめるまなざしの温度は計れへん。 京くんが言うたのは、肉体のことではないことくらい、言われる前からわかっとった。 触れるぬくもり。俺だけにさらす穏やかな油断。それはもう、孤高の獣ではない。 だから俺は笑う。 笑って、そっと答える。 「変わらず好き、では、ないな」 グラスのワインがかすかにゆれる。 その表面のきらめきに、おそらく自惚れにもほど近い期待がうかぶ。 甘えるような、甘やかすような声を、わざと作って聞かせた。 「前よりずっと、愛しとう」 京くんが、俺を見上げる。何かを問いたそうな、何かを伝えたそうな顔をしとった。 けれどそれは一瞬で掻き消えて、かわりに、機嫌のよさそうな苦笑が浮かぶ。 「詭弁や」 「そうかもな」 俺は、するりと京くんの耳をなで、その後ろの刺青に触れる。その肉はやわらこうて、墨を入れる痛みを思うた。 経た痛みも得た栄光も、全部をたっぷり飲み込んで、豊かに豊かに熟れていく。確かにそれが、元の味を少しずつ失うことであったとしても。 青年の面差し。 痛楚に満ちたしなやかさ。 諦観じみた慈恵。 そして、つよさの裏づけとして存在するよわさ。 俺の愛するもの。 俺の愛する京くん。 「ええ香りやな」 京くんはもう一度つぶやく。 言葉にはしなくとも、京くんはわかっとるはずやから。 恋に落ちたと、初めて俺に言われた京くんは、そのカケラさえ体内には残ってへんでも。 俺の思いは、静かに熟れて、 「あぁ、ホンマに、ええ香りや」 |
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