| 「だからね、ちゃんと締め切りまでにやってくれればこんなことにならないんだって、毎回言ってるんだからさ」 井上は呆れたような困ったような声で本日2度目になる小さな説教をし、最後には盛大にわざとらしい溜息をつきながらドアを閉めた。 壁にかけられた鳩時計から、『ポッポーポッポー』と鳩が機械仕掛けの翼をバタバタ動かしながら出てきたのにそちらを見やれば、時刻は俗に言うおやつの時間である。 事務所に設けられた第二会議室には長テーブルがふたつ、長い側面をくっけて平行して置かれてある。パイプ椅子は窓側と出入り口側に其々五脚づつ。背もたれと座る部分の色は小豆色という、学校を思い出させる色合いだ。 薫は今、会報への原稿締め切りを15日も過ぎてしまった為に今日中に仕上げるようにというお達しのもと、この会議室に昼過ぎから軟禁状態にあった。 当人はネタが何も思いつかない苦境の中で、上手く逃げていれば休めるだろうとなどとこずるく思考を巡らせていたのだ。然し生憎にも、ずるいやり方に運など廻っては来ず、今回は会報そのもののページ数が少ない 故にこれ以上のページ削減は無理だからと、徴収されてしまった。 シャーペン一本に消しゴムひとつ、作文用紙を袋ごと渡されると窓を背にし座らされ、ここ三時間ひたすらに文字を綴らされていた。 鳩の姿を見たのは1時と2時とで合わせて3回目になる。 薫は暫しの間、鳩が“おお牧場はみどり”に合わせて体や首を動かすの口をポカンと開けた、まるで放心状態のような表情で眺めていたが、鳩が引っ込んでいくと首をめぐらせながら机上ではなく向かいに座る京に視線を向けた。 「おやつの時間やって京くん、なあ、おやつの時間、」 因みに1時には“すいかの名産地”が、2時には“山の音楽家”が流れた。 「やからアンパン持ってきたったやん」 京はテーブルの真ん中に置かれた、白い皿に乗る四つのアンパンを眉間に皺を寄せながら指差す。 元来の目付きがよくない彼はそうすると凄みを増して、眼光さえもギラついて見える。 「悪いけど俺、アンパンマンよりメロンパンナちゃん派やねん」 オフ日だった京は買い物ついでに事務所への差し入れと、1時過ぎにこのアンパンを持ってきたのだが、たまたま別件で薫の監視が出来なくなってしまった井上に代行を押し付けられてしまったのだ。 この後は新宿に買い物に行く予定にしていた京は至極機嫌が悪く、もうずっと貧乏揺すりをしながら読書に勤しんでいる。 「どっちでもええしな。とりあえずこのアンパン美味いから食べろ。そんで活力つけてちゃっちゃと原稿終わらせてまえ。」 アンパンの次に方向転換をして指先が向けれた原稿は、3時間経過していながらも未だに一枚目の後ろから3行目で止まっていた。 一度波に乗れば早いが、それまでに時間がかかってしまうのが薫の悪い癖だった。 「美味しくても俺はアンパンはあんまり好きやないねん」 「嫌いな訳やないんやろ、ほら、生きる為と思えって。」 「これ食わんでも死なんから!」 「もったいな!これ荒川区の有名な老舗パン屋さんが作ったアンパンやのに。こないだアドマチック天国ていう番組に出とったん見た?」 「アド街くらい知っとるわ!つーか美味しいメロンパン食わんと原稿がこれ以上進まん!」 「ほんなら原稿終わったら美味しい銀座のメロンパン食べさせに連れてったるわ」 「…銀座でメロンパンなんて売っとん?」 「知らん?アド街で銀座の高級メロンパンてやっとったんやで」 「京くんの情報源がアド町やなんて知らんかったなあ」 「一応東京在住やしな」 「ホンマに連れてってくれるん?」 「えぇで。俺こないだ行ってきたけど超美味かったから」 「……不機嫌マックスの京くんが優しいとか何か気持ち悪いねんけど、」 「はあ?ばり失礼やしな。別にそんな怒ってないで俺」 「ホンマにぃ?」 「そんなに疑うんやったらご機嫌取りにメロンパン奢ってや」 「是非そうさせて貰うわ!」 「因みに一個600円な、もひとつ閉店時間6時な」 「………4時半までに終わらせる!!」 「もう一回言うけど薫くんの奢りやで」 「ドンと来い!!」 其の調子、と京は満足気に笑むとアンパンに手を伸ばした。 本当に怒ってなぞいないのだ、むしろ気持ちは踊ってまでいるのだから。 願ってもいない偶然に訪れた薫との時間。 思春期の乙女心、とでも言うのか。好いている薫に対してそんなもののようにウキウキとしているいい歳をした大人、そんな自分が恥ずかしくて、自分で自分を誤魔化すように貧乏揺すりをしてみたりもして。 少しでも薫と居る時間を多く持ちたくて会話の流れを上手い具合に運び、この後の予定を約束付けたのだ。 アンパンを頬張る其の口元が笑っているのを、執筆に熱中する薫には知れないことである。 |
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